「人間の器」とはなにか?
稲盛和夫氏への憧れから始まった問い。社会を動かす力ではなく、『何を目掛けて自分を律するか』『それが周りへ波及するか』という視点が、対話の中で少しずつ浮かび上がってきた記録です。
今回出た具体例
- 稲盛和夫氏のように、社会を大きく動かしながらも謙虚でいる人の姿を『器が大きい』と感じた
- トラブルの際に感情的にならず、冷静かつ寛容に対応する人を見て器を感じた一方、自分は同じ場面で人を許せず『器が小さい』と感じたことがあった
- パートナーが生理でイライラして当たってきた時、激情せずに相手の求めることに応えられた経験
- うまくいくか分からないプロジェクトを任された重圧の中で、冷静にチームをリードできた経験
- 片岡鶴太郎のように努力して自分を律している人を見ても、『自分はそうなりたいとは思わない』という反例も挙がった
条件の候補
- 目的に対してブレないこと
- 不必要にネガティブな感情にならないこと
- 相手を騙したり悪いところを見せたりせず、信頼されるような立ち振る舞いをすること
- 自分に甘くなりそうな時に、自分を律すること(ディシプリン)
- 律する先の目的が、自分だけでなく誰にとっても目指しうる『普遍的なもの』であること
- その律する姿が周囲に良い影響として波及していくこと
暫定的な定義
この対話では、『人間の器』とは“ほんとう(普遍的なもの)を目掛けて自分を律していること、そしてそれが周りの人へ波及していくこと”ではないか。
対立点・意見のズレ
- 『社会を大きく動かしていること』が器の本質だと思っていたが、対話を通じて必ずしもそうではないかもしれない、という見方の転換があった
- 自分を律している人がいても、『自分がそうなりたいと思うかどうか』によって、器が大きいと感じるかどうかが分かれるのではないかという意見が出た
- 『分からない』という率直な声もそのまま残された
未解決の問い
- なぜある人には『そうなりたい』と思え、別の人には思えないのか。その違いはどこから生まれるのか
- 『律すること』と『それが周りへ波及すること』は、器の大きさの段階として整理できるのか
- 『普遍的なものを目掛ける』とは具体的にどういう状態を指すのか、もっと掘り下げられるのではないか